なぜロシアは−50℃を超えるシベリアに進出することができたのか?

世界の政治と経済

シベリアと聞くと、多くの人は「氷点下50度」「永久凍土」「人が住めない土地」といったイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。

実際、世界で最も寒い定住地として知られるオイミャコンでは、冬には−60℃近くまで気温が下がることもあります。

それほど過酷な土地に、なぜロシア人は進出し、支配し、さらには定住まですることができたのでしょうか。

この記事では、ロシア人がどのようにして極寒のシベリアへ進出できたのかを、経済的な理由や移動の仕方、寒さに適応した暮らしの工夫といった視点から、わかりやすく見ていきます。

① シベリア進出のきっかけは「毛皮経済」

ロシア人のシベリア進出が本格化したのは、16〜17世紀です。

当時のロシアにとって、シベリアは「空白地帯」ではなく、巨大な毛皮の宝庫でした。

クロテンやキツネ、オオカミ、リスといった動物の毛皮は、ヨーロッパの市場において金や銀に匹敵する価値を持っていました。

特にクロテンの毛皮は、柔らかく軽いうえ、極寒でも高い保温性を発揮するため、王侯貴族に好まれていました。

つまり当時のシベリアは、寒いが、非常に稼げる土地だったのです。

そのため、ロシア人は毛皮を目的にシベリアへ進出し、先住民から毛皮税を徴収する形で支配を広げていきました。

ちなみに、中国やモンゴルがシベリアに進出しなかったのは、それぞれ以下が理由とされています。

中国文明は農業を基盤としており、寒冷で生産性の低いシベリアは経済的な価値が小さい土地でした。

そして、モンゴルは草原で機動力を発揮する遊牧国家であり、森林と湿地が広がるシベリアは騎馬戦術に不向きでした。

そのため、両国にとってシベリアは、支配しても見返りの少ない土地だったのです。

② シベリアは川を使えば楽に行けた

地図を見ると、シベリアはとても広大な陸続きの地に見えます。

しかし実際には、オビ川やエニセイ川、レナ川といった巨大な河川ネットワークが存在しています。

これらの川は、夏は船で、冬はそりを使って移動でき、一年中「道」として利用できました。

そのため、森林や湿地を徒歩で突破するよりも、川沿いを進む方がはるかに安全で効率的でした。

ロシア人はこの地理条件を活用して、少人数でも内陸深くまで進出することができたのです。

③ 「寒さ」は専用の装備で解決していた

ロシア人は、徹底した防寒装備によって−50度も超えるような寒さに合理的に対応していました。

例えば、クロテンやトナカイの毛皮を使った外套や、フェルト製の防寒靴、重ね着を前提とした服装、さらに風をしっかり遮る構造の住居などが挙げられます。

これらの装備や住居は、体を温めるというより、冷たい空気を体に近づけないためのものでした。

毛皮やフェルトは熱を外に逃がしにくく、何枚も服を重ねることで寒さに合わせて調整することができるのです。

家も木で厚く作られており、外の冷たい空気を防ぐことで、寒いシベリアでも生活ができました。

この考え方は、現代のダウンジャケットと同じ発想であり、すでに当時から実用化されていました。

④ 極寒でも暮らせた住居の工夫

シベリアは寒冷地ですが、森林資源が非常に豊富でした。

そのため、ロシア人は木材を使い、厚いログハウスや二重構造の壁、小さな窓といった特徴のある住居を建て、外気を遮断しました。

その結果、外気温が−40℃を下回っていても、室内は0~10度で比較的安定した環境を保てました。

つまり、屋外は過酷でも、屋内は生活可能な空間を作り出すことができたのです。

まとめ

ロシア人がシベリアを領土にできた主な理由は、毛皮という明確な経済的動機があったこと、川を使って効率的に移動できたこと、寒さに適応した装備と住居を持っていたことなどです。

シベリアは決して住めない土地ではなく、寒さに適応する技術と経済的な理由を持つ国家にとっては、十分に価値のある土地でした。

ロシアはその条件を満たしていた数少ない国だったのです。