ヒンドゥスターニー人とは?北インドの中心をつくる民族

世界の人々

ヒンドゥスターニー人(Hindustani)は、主にデリーやタージ・マハルがあるアグラなどインド北部に暮らす民族であり、インド全人口の中でも大きな割合を占めています。

日本人がよくイメージするインド人といえばこのヒンドゥスターニー人だと思います。

今回の記事では、そんなヒンドゥスターニー人の文化・社会・歴史などについて分かりやすく解説していきます。

① ヒンドゥスターニー人の雰囲気

ヒンドゥースターニー人の肌は少し小麦色で、黒髪に黒い瞳の人が多いとされています。

顔立ちはインドの中でも少し西寄りで、中東人に近い印象も持っている傾向があるそうです。

これは古代にイラン人や中央アジア人がインドに移動して、文明を作ったことが関係しているそうです。

私が初めてこの情報を知った時は「インド=東洋」というイメージが強かったので、少し意外に感じました。

② ヒンドゥスターニー人の文化と暮らし

ヒンドゥスターニー人が多く住むデリーでは、カレーやビリヤニ、サモサなどが主に食べられています。

日本でもカレーやビリヤニは普及していますが、インドのこれらの料理は、香りが豊かでよりスパイスが強いらしいです。

ヒンドゥスターニー人の中心都市として有名なのは、デリーやニューデリーなどがあります。

ところで、「デリー」と「ニューデリー」の違いについては意外と知られていないかもしれません。

簡単に言うと、「デリー」は東京都、「ニューデリー」は千代田区みたいなもので、デリーは都市全体を指し、ニューデリーはその中の政治機能が集中している地区のことを指しています。

③ ヒンドゥスターニー人の言語

「ヒンドゥスターニー人」はもともと「ヒンドゥスタン(北インド地方)」に住む人々という意味を持っています。

私はヒンドゥー教を信仰する人々と言う語源だと思っていたので、地名由来だったことには少し意外に感じました。

そして、ヒンドゥスターニー人のルーツはもともとイランや中央アジアに住んでいた人々が3,500年ほど前に北インドに移動したことからはじまったとされています。

やがて、ヒンドゥー教が生まれ、それと同時にカースト制度も形成されます。

カースト制度は簡単に言うと、「生まれた家庭によって地位が4つに分けられる」というものです。

この制度では、もともとイランや中央アジアからやってきた征服者(アーリア人=後のヒンドゥスターニー人)が上位であり、古くからインドに住んでいた人々(現在の南インド系)が下位に位置付けられたとされます。

つまり、カースト制度とは単なる宗教のシステムではなく、征服者が有利な立場を固定するという意味を持っていたのです。

そして、12世紀にはインドはトルコ系の人々によって征服され、デリー・スルタン王朝が建てられます。

その後も、16世紀頃には中央アジア系の人々によって再びこの地が征服され、ムガル帝国が建国されます。

ちなみに、世界遺産としてインドのシンボル的存在のタージ・マハルはムガル帝国の時代に建てられました。

さらに、18世紀以降ムガル帝国が衰退に乗じて、イギリス東インド会社が台頭し、19世紀後半にはインド全土がイギリスの植民地となります。

そして、1947年にインドはイギリスから独立を果たします。

私がインドの歴史を振り返ってみて思うのは、中央アジア、中東、ヨーロッパなどの外から来た人々によって支配されていた時代が驚くほど多いということです。

ちなみに、現在ではカースト制度も廃止され、インドの先住民、つまり南インド系の人々の地位も高くなってきています。

⑤ ヒンドゥスターニー人の社会と経済

ヒンドゥスターニー人は、インドの政治・経済・芸能の中心にいる民族です。

ニューデリーには政治の機関が集中し、デリーには経済の中心の一つとして多くの大企業が本社を構えています。

また、インドの有名な映画産業「ボリウッド」は発祥は、マラーティー人が住むムンバイですが、ボリウッドの俳優たちはヒンディー語で演技をします。

まとめ

ヒンドゥー語がインドで一番話されている言語ということなどを考えると、ヒンドゥスターニー人は、インドの「顔」ともいえる存在です。

ヒンドゥースターニー人を理解することはインドを知る上で欠かせないと思います。