ロシア語といえば、独特な見た目をした「キリル文字」で書かれている言語として知られています。
アルファベットと似ていながら、微妙に違っていて、”H”を”N”として発音したり、”N”や”R”が反対向きになった”и (i)”や”я (ya)”という文字があることも特徴的です。
しかし実は、ロシア語で使われているこのキリル文字と呼ばれる文字は、ロシアで生まれたものではありません。
そのルーツをたどっていくと、9世紀のブルガリアに行き着きます。
今回は、ロシア語の文字がどこから来たのか、その意外な歴史について分かりやすく解説していきます。
① ロシア語で使われている「キリル文字」とは?

まず前提として、ロシア語で使われている文字は「キリル文字」と呼ばれています。
現在のロシア語では33文字が使われており、アルファベットの26文字より多く、ロシアだけでなく、ウクライナ、ブルガリア、セルビアなど、たくさんの国で使われています。
“Ф(f)”や”П (p)”など、見た目がギリシャ文字に似ているものも多く、「なぜロシア語なのにギリシャっぽいのか」と疑問に思う人もいるでしょう。
この点も、文字の起源と深く関係しています。
② キリル文字が生まれた背景 – 9世紀のブルガリア –

キリル文字が本格的に作られたのは、9世紀後半のブルガリアとされています。
当時のブルガリア周辺にはスラブ人と呼ばれる人々がたくさん暮らしていましたが、彼らの言葉を統一的に書き表す文字はまだ存在していませんでした。
そのため、代わりにギリシャ語やラテン語などの文字が宗教や政治の場で使われていました。
この時代のブルガリアは、トルコからバルカン半島まで広がるビザンツ帝国の影響を強く受ける地域であり、キリスト教の布教も進められていました。

その中で、「聖書をスラブ人自身の言葉で読めるようにしたい」という必要性が高まっていきます。
しかし、当時使われていたラテン語やギリシャ語の文字では、スラブ語特有の音を正確に表すことが難しく、そのままでは十分に対応できませんでした。
そこで、スラブ語に適した新しい文字体系が求められるようになったのです。
③ ブルガリアで整えられた文字体系

こうした流れの中で、ブルガリアで最初にスラブ語表記のために作られたのが「グラゴル文字」でした。
さらにその後、グラゴル文字とギリシャ文字をもとに、キリル文字としてより使いやすい形へ整理されました。
そして、当時のブルガリアでは、国家と教会が一体となってキリル文字を教育や聖書に採用し、広く使われるよう体系化していきました。
その結果、キリル文字はブルガリアにおいて「実際に使われる文字」として定着し、完成した文字体系となりました。
そのため、歴史的にはキリル文字はブルガリアで成立した文字体系と考えられています。
④ なぜキリル文字がロシアに伝わったのか?

では、なぜブルガリアで整えられたキリル文字がロシアへ伝わったのでしょうか。
その大きな理由は、宗教にあります。10世紀後半、キエフ・ルーシと呼ばれる国(現在のロシアやウクライナのもととなった国)は、ビザンツ帝国から東方正教会のキリスト教を受け入れました。
このとき、宗教書などとともに伝えられたのが、キリル文字でした。
すでにスラブ語で使いやすく整えられていたキリル文字は、そのままロシアの地でも受け入れられ、広まっていったのです。
⑤ ロシアで独自に進化したキリル文字

ロシアに伝わったキリル文字は、その後も少しずつ変化していきました。
発音の違いに合わせて文字が整理されたり、不要な文字が削除されたりするなど、ロシア語に合う形へと調整されていきます。
特に18世紀のピョートル大帝の時代には、文字の形が簡略化され、現在のロシア語に近いキリル文字が完成しました。
これは毛沢東が建国した時に、中国語の文字を繁体字から簡体字に簡略化したのとも似ていると思います。
つまり、ロシア語の文字は「ブルガリア由来」ではありながら、ロシアの歴史の中で独自の進化を遂げてきた文字といえます。
まとめ
ロシア語の文字 「キリル文字」 は実はロシアで生まれたものではありませんでした。
キリル文字は、9世紀に現在のブルガリアで体系化され、宗教の広がりとともにロシアへ伝えられていきました。
そして、その後長い時間をかけてロシア語の発音や表現に合うよう独自の改良が加えられていき、現在私たちが目にするロシア語のキリル文字が形作られていったのです。
